#03 挫折が生んだ備え人 財前宣之 NOBUYUKI ZAIZEN #03 挫折が生んだ備え人 財前宣之 NOBUYUKI ZAIZEN

  • 元サッカー日本代表
  • サッカー指導者
  • オーダースーツサロンオーナー

栄光と挫折を経験して知ったのは、
デキる人は「備え」ているということ。

Jリーグの名門、ヴェルディ川崎をはじめ、国内外でプレイしたのち、35歳で現役を引退。元U-17サッカー日本代表の財前宣之さんは現在、仙台でサッカーの指導者として活動する一方で、興味のあったファッションの知識を磨き、オーダースーツサロンも手がけています。怪我に泣いた天才、財前さんが考える“備え”とは?

「備えることはカッコ悪い」と、
勘違いしていた現役時代

中田英寿さん、宮本恒靖さんなど、そうそうたるメンバーとともに、U-17サッカー日本代表に選出。“天才”と呼ばれ、将来を嘱望された10代、当時どのようなことを感じていましたか?

財前

10代の頃、僕は「自分がいちばんうまい」と勘違いしていました。

当時は、サッカー日本代表として、ワールドカップに行くことが夢でしたから、その目的に向かって日々努力していましたし、サッカーのことだけを考えて生きることが“正しい”と思い込んでいました。だから正直、「備え」についてはあまり意識していなかったですね。

そんな10代を過ごした僕が過去から学んだことは、「何かひとつのことに打ち込むことは素晴らしいけれど、そのせいで視野が狭くなってしまうこともある」ということです。

一方で、自分の身近な人物でいえば、中田英寿はすでにその頃から、いつかは現役を退くことを見据えていた印象があります。あるとき、僕が電話で「何してるの?」と聞くと、「簿記の勉強してる」と答えるんです。他にも英語やイタリア語など、彼は当時から文武両道を体現していました。やっぱり本当にデキる人は、早くから、ちゃんと「備え」ているものなんですよね。

現役時代は、3度の大怪我(靭帯断裂)を経験。
大好きなサッカーができず、苦しい思いをした瞬間も多かったと思います。当時、「引退」を意識し、「備え」ていたことはありましたか?

財前

怪我の原因は、自分の才能を過信し、トレーニングを怠ったことにありました。もっとしっかり身体づくりをしていれば、また違った未来があったかもしれません。

結果、思うようなプレイができなくなり、「引退」することを決断しました。未来への「備え」を意識したのは、引退したあとです。サッカー指導者の資格を取得し、その後、古巣・ベガルタ仙台で、コーチの職に就くことができました。

後戻りはできない。「捨てる」リスク

ベガルタ仙台の指導者として働くなかで、
感じていた不安やリスクはありましたか?

財前

サッカー選手としても、指導者としても、ベガルタ仙台は、僕を拾ってくれたチームです。本当に感謝しかありません。ですが、10年後、20年後を見据えたときに、「このままでいいのだろうか?」という漠然とした疑問は抱えていました。

特に大きかったのは、子どもたちを指導するなかで、「もっとこうしたい」という思いが芽生えたことです。だから独立して「財前フットボールスクール」を立ち上げたわけです。一方で、独立するということは、「安定を捨てる」ということ。もう後戻りはできないのだと思うと、不安もありました。しかし、いざ開設してみると、多くの子どもたちが僕のスクールに集まってくれました。とてもうれしかったですし、「絶対に期待に応えたい!」と思いました。

財前フットボールスクールに運営と並行して、オーダースーツの事業も始めています。これも「備え」のひとつでしょうか?

財前

「備え」になればいいなという思いと、好きだからという気持ちがありました。僕は19歳のとき、イタリアに渡り、セリエAの名門「SSラツィオ」に留学していたんです。昔からおしゃれが好きで、当時は好んでヨーロッパのブランドばかり着ていました。

好きが興じて、現役時代に、アパレル会社の社長と一緒に、服の買い付けに同行したこともあります。そこで取引の現場を生で見て、洋服が生まれる過程を知りました。頭の片隅に「いつかファッションを仕事にできたら」という思いは、当時から少なからず抱いていましたが、まさか実現できるとは思っていませんでした。しかし現役を退き、指導者してセカンドキャリアをスタートしたのち、ご縁をいただき、2足のわらじを履くようになりました。

着るものによって、人の気持ちは変化するものです。「財前さんに作ってもらったスーツを着ると、気合いが入る」なんて言われるたび、アパレルにも関わることができて幸せだなと感じます。

「備え」は、明るい未来のため

怪我に泣いた現役時代を経て、現在はサッカースクールの指導者と、オーダースーツ事業の2足のわらじを履く財前さん。現在感じている「リスク」と、そこに向けて「備え」ていることがあれば、教えてください。

財前

これまでは「財前宣之」という名前があったから、スクールを開設しても、人が集まりました。ですが、いつまでも「あの財前」ではいられません。現にもう、僕のことを知らない世代がいるわけですから。

そう考えると、個ではなく、財前フットボールスクールというチームとしての魅力を増していかなくては、今後事業を継続できません。そのリスクに備えるために、次世代のコーチやスタッフの育成に着目しました。

昨年、中学生のジュニアユースチームを立ち上げました。そこでは指導と並行して、僕自身はチームプロデュースとして、コーチとスタッフの育成にも注力しています。やはり自分ひとりでできることは限られていますし、体力面でもいつかは衰えていきます。ですが、スタッフとともに“魅力あるチーム”を作りあげることができれば、僕の魂はチームの中で生き続けますし、そうすることで、サッカー事業の育成に関わり続けることができると考えました。夢はプロサッカー選手を輩出すること。グラウンドで“財前魂”を表現してもらえたら、こんなにうれしいことはないですね。

同時に、オーダースーツサロンのオーナーとして、今後も「勝負服」を作り続けるために、現在もスーツの勉強を日々しています。これからも、ひとりでも多くの方を、サッカーとスーツの両面で笑顔にしていきたいです。

最後に、財前さんの考える
「備えの大切さ」について教えてください。

財前

サッカー一筋だった僕は、才能に溺れ、トレーニングを怠った結果、三度の大怪我に見舞われました。引退後、不安を覚えた僕は、ようやくコーチの資格を取得しましたが、もし10代の頃から引退後を見据えて行動していたら、もう少し心にゆとりを持つことができたんじゃないかと感じています。

誰にでも、セカンドキャリアは訪れます。もちろん夢を持つことは大切だし、それを追いかけることも素晴らしいこと。一方で、夢は叶う人より破れる人の方が多いという現実もある。本当にデキる人は、中田英寿のように早くから「備え」ているものです。だからサッカーだけでなく、勉強もできた方がいいし、資格もあった方がいい。武器はいくつあっても困るものではありません。しっかりと備えていれば、明るい未来が待っている。そのことを、僕は過去から学びました。

Profile
財前宣之(ざいぜん・のぶゆき)


1976年北海道生まれ。U17ワールドカップではベストイレブンに選出されるなど、若くしてその才能を開花。
現役時代はベガルタ仙台ほか、国内外で活躍。引退後はベガルタ仙台の育成部で子どもたちを指導。その後、並行して、オーダースーツ事業を開始し、ブランド「NUMERO DIECI」を展開している。2016年、「財前フットボールスクール」を開設。2019年よりジュニアユースチーム「FC FUORICLASSE仙台」を立ち上げ、主にチームプロデュースを担当。

WRITER:赤坂 匡介

PHOTOGRAPHER:フジイセイヤ